ホタテの名付け親はペリー提督!?

コラム
2026年05月06日

 ホタテの歴史は非常に古く、貝塚に残された貝や出土品から約5千年前の縄文時代にはすでに食用とされていたと考えられています。しかし、その加工品が記録に登場するのは、今から約150年前の江戸時代末期のことです。乾燥した貝柱は、乾アワビ、煎海風(いりこ、ほしなまこ)、するめ、こんぶなどとともに、「儀物(たわらもの)」と呼ばれる中国向けの輸出品として、幕府の重要な財源となっていました。また、ホタテは、江戸時代の百科事典「和漢三才図会」(1712年、寺島良安編)に「貝殻を帆のように立てて海中を走る」と紹介されていますがこれは誤りです。確かにホタテは海中でとても素早く動きますが、それは閉殻筋(貝柱)で殻を閉じる際に勢いよく水を吐き出し、その反作用で飛ぶように動くためです。

 江戸時代まで、生のホタテを味わえたのは産地近くのごく限られた人たちでした。また、干し貝柱も庶民には手の届かない高級食材でした。そんなホタテに着目したのがアメリカのペリー提督でした。1854年にペリー提督が艦隊を率いて函館に来航した際、ホタテを見てこれは珍しい貝とアメリカに持ち帰ったそうです。そしてホタテをアメリカで新種の貝として紹介しましました。そのため、ホタテには「Patinopecten yessoensis」という学名が付けられ、これは「蝦夷地(北海道)産の櫛のような模様のある皿」を意味しています。Patinopectenは、櫛のような模様のある皿、yessoensisは蝦夷地(北海道)のことだそうです。

 ホタテは古代から重要な食材として扱われてきましたが、その加工技術や輸出が進むにつれて、その価値はさらに高まりました。今日ではホタテは日本国内だけでなく、世界中で愛される食材となっています。

ご質問や各種お問い合わせはお問い合わせフォームか、お電話よりご連絡下さい。
お問い合わせは、原則2営業日以内にご回答差し上げております。