伊勢にまつわるお話
江戸中期の本草書「大和本草」に「此のエビ、伊勢より多く来る故、伊勢蝦といふ」とあり当時の都であった京都には伊勢産のものが多く出回ったことから地名に由来する名と考えられている。その他、磯で多く獲れる「イソエビ」からイセエビになったという説や兜の前頭部に位置する前立にイセエビを模したものがあるように、イセエビが太く長い触覚を振り立てる様や姿形が鎧をまとった勇猛果敢な武士を連想させ「威勢がいい」を意味する縁起物として武家に好まれており語呂合わせから定着していったとも考えられている。
同書には「江戸には鎌倉より来る故、鎌倉エビと称す」ともあり伊勢地方では「志摩海老」と呼ばれていたため地名からと考えるのが妥当である。「伊勢海老」が一般的となった理由は定かでないが漁獲量の多さのほか、古くから祝儀用にされるエビなので、伊勢神宮と結び付けられたと考えられる。
外洋に画した浅い海の岩礁や珊瑚礁に生息し、ウツボと共に生活していることもあり、これはイセエビは天敵のタコから守ってもらえ、ウツボの方も大好物のタコがイセエビにつられて自分から寄ってきてくれるという相利共生となている。漁期は10月から4月にかけてで、5月から8月の産卵期は資源保護を目的に禁漁としている地区が多い。イセエビはどこでお重要な水産資源とされ、日本国内での県別漁獲高は千葉県が最も多く三重県が次ぐ。また、三重県の県の魚に指定されている。
江戸時代、1642年の『料理物語』にはイセエビを茹でる、あるいは焼くといった料理法が記されていた。現在ではさらに様々な方法で調理されている。なお、特に日本国内においては制限はないが、アメリカの一部の州では、最初の包丁の入れ方に制限を設けているところがある。海老の甲を左右に分断する形で切断しないと、動物愛護に関する州法等の法令により罰則が課せられる場合がある。これは、エビの脳を切断する形でないと海老に苦痛を与えるということによる罰則である。加熱調理する場合は日本国内でもこの形で切断している場合が多いが、これは切断後に身が取り出しやすいためでもある。