そのルーツは鎌倉時代もしくは室町時代にまで遡るのだそう。当時は皇族や貴族の「年忘れ」の意味を込めた斧で、お酒はノンdけれども、メイン行事は和歌や俳句を楽しむ厳かなものだったといわれています。その後、江戸時代になると武士は新年会、庶民は一年の憂さを晴らす年忘れとして、酒やつまみを静かに楽しむようになりました。武士は深淵に主君へ忠誠を誓う風習があったためともいわれています。
ちょっと面白い話ですが、「忠臣蔵討ち入り」が成功したのは、吉良家の忘年会後の寝込みを襲ったから、という興味深い話もあるようです。ちなみに忠臣蔵に登場する年越しそばが寒冷化したのも江戸時代中期だそうです。
一般の多くの人が楽しむ現在の望遠界の形に近くなったのは明治時代になってからといわれていて、完了にボーナスが出るようになり職場での宴会が始まったといわれています。この頃から「無礼講」「無茶苦茶主義」などのキャッチフレーズとともにお祭り感覚になったよう坪内逍遥の小説「忘年会」の中の一説に、学生たちの忘年会の様子が「声高な議論と湧くような笑い声、歌舞音曲に、お酌する稽古、そして何よりも大酒」と描かれています。
昭和になると、企業忘年会を中心に忘年会文化が開花する。終戦後は温泉地への旅行忘年会など、規模も予算も拡大し、忘年会フィーバーは70年代半ばにピークを迎えた。この頃から女子社員の参加も増えたが、伝統的な芸者宴会の衰退へとつながり、「御座敷ばなれ」となって一層である。
また、会費については企業持ちのケースも多くなり始めた。忘年会の耐えに社内積み立てなどをしている会社も多かった。会社から補助金が出たりと福利厚生の一環ともみなされていた。