秋といえば

コラム
2023年09月13日

昔から日本時は、秋の威嚇の王様として松茸を格別愛し、その風味を秋の風物詩として長く珍重してきました。日本では卑弥呼の時代から食用されていたと考えられ、弥生時代中期の遺跡からは、松茸と思われる土人形が出土しており、「日本書紀」には、松竹と思われるキノコを天皇に献上したという記録が残っているなど、はるかいにしえの昔より松茸が日本人にとって特別のキノコであったことを伺わせています。

そんな松茸ですが、世界中で食用とする習慣があるのは日本と朝鮮半島だけである事実は、あまり知られていません。その朝鮮半島にしても松茸を食べる習慣としては、ここ十年ほど前くらいからでしかありません。

「香り松茸、味しめじ」と言われるように日本人とって、芳しい香りである松茸ですが、日本人以外の人々にとってこの臭いは、たえがたいほどの悪臭であるようです。

ヨーロッパで松茸を食するときは(あくまで食べるとすればですが)オリーブオイルを大量につかって臭いを消し明日。また、生物であればなんでも食用にしてしまうと言われている中国の人々にとってみても、この松茸は悪臭であり食することは、なかったといわれています。

日本の宝

日本人の心と体を強靭にさせてきた米。収穫が多く、特に水田の場合は、水を張ることもあって気温や害虫に強く同じ土地に何度作っても連作障害も起きず、しかも何より旨い。それに米はパンなどと違って人体にちょうど合う水分があって、格段の旨みがあります。少し考えてみれば分かりますが米を炊くという行為が、水分を米の中に取り入れることを意味しますよね。しかしパンの場合は、焼き上げるわけですから水分を弾き飛ばします。つまり人体にとって全くの逆効果を与えるわけなのです。

米と共に旨い水も体に取り込む。日本は水が本当に豊かな国ですから、ご飯を食べることでその両方の効用を自然に受け入れることができました。この先祖の知恵。本当に素晴らしいではありませんか。

この米という存在を先祖たちはとても大事にしてきました。もう少し付け加えますと昔から日本では、稲作と神事が一体となっていました。伊勢神宮の神事では、それらが今も続いております。毎日、朝夕に行われる大御饌祭では、1500年前からずっと蒸した米や水、酒、塩、それに海山の幸を供えています。これこそが、今の日本人の基となっているのです。

その中でも米は一番大切なものであり、籾を蒔くのも、田植えなども全て神主がしています。これだけ大昔から日本人は、このコメの大切さをみに染みて知っていたということでしょう。ほかの国に比べてこれは驚くべきことです。過去、一度も途絶えたことの内向した祭りが存在することに日本人の底力を思ってしまいます。そして毎年秋に収穫する新米をすぐに食べず、3年ほど備蓄し、古米から順に食べていた。だから深刻な飢饉が日本にはほとんど起こりえなかったわけです。

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