女房を質に入れても初鰹
江戸期の川柳にもあるように初鰹は江戸っ子を狂気させたようです。しかしこの時代の初鰹は非常に高く、1尾は当時の武士の年収に近い額だったと言われます。それでも初鰹〜♪という響きは江戸っ子の血を熱くし、競って食べたことから、女房を質に…なんてくが詠まれたのですね。
鰹は縁起の良いものとして珍重され、縁起の良い初物となると、食べなければ江戸っ子の名がすたるというわけです。江戸の人々のキップの良さ、酒脱な生き方はすごくカッコいいですね。そんな鰹ですが、実は生食の歴史は意外と浅い魚です。
鰹は縄文時代の遺跡からも骨が発見され、日本人とは大昔から繋がりがある魚で、『古事記』や『万葉集』にも記述が出てきます。それらは「堅魚」と書かれたり「カタウオ」と呼ばれたりしていて、カツオの語源となりました。
鰹はどうやら生では食べなかったようです。その理由は、獲れたての鰹はコリコリに硬くてコクがなく、めっぽうマズイのだそうで(生食には獲れたてから2日目位が美味)、しかも肉が痛みやすく、痛んだものを食べて中毒する人が多かったことから「鰹の肉には毒がある」と誤って信じられていました。
また、白河天皇の頃には仏教の上から殺生が厳禁され、魚も一切食べてはならぬという掟が出されました。このときには干した鰹を「木片」だと称して密かにバイバイしていたようです。このようなことから、鰹はその昔、干して硬くなったものを、保存食や日本独特の調味食品「鰹節」として利用していたようです。
鰹は水温20〜30℃の暖かい海を、群れを成して移動する熱帯性の回遊魚で、初春にフィリピン近海から黒潮に乗り、青葉の頃、鹿児島〜高知〜和歌山〜伊豆〜三陸沖へと上りつめ(上りガツオ)、秋に南へと下って行きます。(下りガツオ)この移動距離でおよそ2500㎞。また、ミクロネシアから小笠原海流にのってやって来る群れもあります。