謹賀新年

その他
2023年01月04日

初夢に、「一富士、二鷹、三なすび」を見ると縁起が良いと言われています。初夢とは、元日、または1月2日の夜にみる夢ですが、昔は、節分の夜から立春にかけて見る夢でした。有名なことわざですが、その語源はこれまた諸説紛々。(1)駿河名物を列記した。(2)徳川家康が、駿河で一番高いのは、1に富士、2に愛鷹山。そして物価が高いのはなすびだ」と言ったという説。

実は、「一富士、二鷹、三なすび」には「四扇、五煙草、六座頭」という続きがあります。砂糖というのは指圧、マッサージの意味。これらも物価を示しているものと解釈できるので、(2)の説がいかに最もらしいですが、これで「決定!」というものは今のところないようです。

平安時代の頃は、富士山は噴煙を上げていて、まさに命がけの登山だったようです。鎌倉時代、室町時代は、富士行人と呼ばれる一部の修験者の修行の地だったそうです。その頃から登山道はいくつか開発されていたようです。この頃には火口の中で熊に食われた人がいたらしいです。

富士登山が盛んになったのは江戸時代に「富士講」が広まってからです。講ですから、何年も登山資金を積み立てて、やがて自分の順番がまわってくると先達と呼ばれるリーダーに従って登りました。滅多に登れませんからそれこそ一歩一歩大切に登ったそうです。

しかし当時は女性が登ることが禁止されていました。ただ、60年に一度の庚申の年だけ四合目までの登山が許されました。女性が自由に登れるようになったのは明治に入ってからのことです。昭和39年4月に富士スパイラルラインが開通。道路の開通によってそれまで登山のメインストリートだった吉田口が衰退していき、変わって河口湖口が富士登山の主流となります。昭和45年には富士宮口までの富士山スカイラインも開通。いよいよ富士登山の観光化が進んでいきます。しかし、昭和55年に河口湖口の吉田大沢で12名がなくなるという大落石事故が発生し、下山ルートが現在の位置に付け替えられました。その後は大規模な落石事故は少なくなったものの、体力不足による事故が増えているみたいです。

ちなみに富士山の山頂は、静岡県と山梨県いったいどっちにあるかご存じですか?…今のところ。どちらかに決まっているわけではありません。地図を見ても、西側は山頂の近くまで県境が延びていますが山頂部分には引かれていません。東側は小富士の取り合いになっていて、そこで県境が切れています。ただ、状況停には静岡県に分があります。山梨県側に面している河口湖口山頂の山小屋は、実は、静岡県の山小屋。山小屋の電話番号の市外局番は静岡県ですし、固定資産税も静岡県に支払っています。そもそも富士山の八合目以上は浅間大社の奥宮なのですが、その浅間大社は静岡県にあります。山頂郵便局は静岡県富士宮局の分局。富士山測候所も住所は富士宮市。とりあえず行政的には静岡県です。でも、登山客の多くは山梨県の河口湖口から登ってくるのです。まぁ、このままで問題がないのなら、特に決めなくても良いのかもしれません。

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